井原デニムの
歴史的背景

デニムと裏白・備中小倉には共通点があります。どちらも蛇除け、虫除けの効能がある「藍(天然藍とインディゴ染料の違いは不純物の有無で、化学組成は同じ)」で染めてある作業着。そしてどちらも表が紺・裏が白色の厚地木綿の生地であること。

ジーンズは、藍で染められた厚地の綿布であるデニム地で作られるのが一般的です。現在、衣料品の大多数は輸入品となっていますが、根強いファンを持つ高級な国産デニムの半分以上がここ井原市やその周辺でつくられています。その背景はきっと、長い織物の歴史と、人々の創意工夫への情熱。それは今もなお続いています。

『日本のデニムの聖地』

また、ジーンズの縫製にも日本のジーンズ草創期から携わっており、一時期は国内シェア70%以上の時期もありました。日本製デニムは世界最高品質と認められています。ここ井原は、その品質の高さから『日本のデニムの聖地』とも呼ばれます。
伝統的なシャトル織機で「セルビッチ」という〝耳〟のついたデニムの生産に特化する織物会社も多数あります。その昔ながらのデニムの風合いをもつ生地は、欧米の最高級ブランドでも採用されています。
天然染料で染めた生地や、モノグラムを織り込んだジャガード織りの生地など、独特なニュアンスある色・風合い・光沢を持つ個性的な織物や製品は、世界からも注目され輸出に至っています。

デニムは古来から親しまれる藍染の綿織物と同じ。私たち日本人には、デニムを愛するDNAが備わっているんですね。
井原デニムは、古来から馴染みある素材に新しい風も吹き込み、井原産にこだわって、皆様に発信します。

年表

江戸時代

天和年間
(1681~1683)
江戸時代初期から綿花栽培、手つむぎ・手織りで衣服を。
1650年頃から成功していた綿花の栽培に加え藍の栽培が始まった。井原の厚地藍染織物は参勤交代制とともに全国に知られるように(坂本竜馬の袴もきっとこれ!!)

明治時代

明治24年(1891) 鎖国の終了とともに、これらの厚地綿織物を東南アジア・アメリカなどへ輸出開始
地方最初の電動機械を導入した井原織物所創立

大正

元年(1912) 「備中小倉」最初の輸出 → 第2次世界大戦まで世界各国へ

昭和

昭和20-27年ごろ GHQが穿いてるジーンズを参考にマンボーズボンを制作。GHQに販売。
昭和35年(1965) 井原、厚地織物の生産・縫製技術を生かし、デニム地・ジーンズ生産が始まる…国産ジーンズ発祥の地と呼ばれています。
昭和45年ごろ ジーンズ年間1500万本…国内の75%の生産量

平成・現在

井原製デニムは世界最高品質の1つと認められ欧米中心に多く輸出。新たなクウォリティを加えながら、進歩を求め続けている。

比較

1871年 ジーンズ誕生(アメリカネバダ州)
1873年(明治6年) リーバイ・ストラウス社リベット打ちズボンの特許